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読書記録 ドアの向こうのカルト

 

ドアの向こうのカルト ---9歳から35歳まで過ごしたエホバの証人の記録

ドアの向こうのカルト ---9歳から35歳まで過ごしたエホバの証人の記録

 

 9歳の時、母親がエホバの証人の伝道者を受け入れたことから、筆者のカルト生活が始まった。

全10章からなり、5章までは、母親の入信、強要される教義や規則への反発、そして信者としての自覚の芽生えが描かれ、どのように人間がカルトに取り込まれていくのかがわかる。

非常に興味深かったのは、筆者は、オナニー禁止だとかの厳しすぎる規則や、なんでもサタンのせいにする信者に多少の反発や疑問を覚えているし、問題児扱いされるような態度(立場が上の者に従順でいることが絶対視される組織で長老の奥さんにたてつくとか)でいるものの、一度はバプテスマエホバの証人式の洗礼)を自らの意思で受けるし、本部での奉仕(ほぼ無償労働。組織内ではエリートとされている)にまで志願している、ということ。

多少の疑問など、これまで培ってきた教団内での人間関係や、教団内で出世したロールモデルへの憧れ、教団を抜けて新しい集団へ飛び込むことへの不安感に比べると、些細なことになってしまうのでは。

信者の子供を小さい時から集会に連れていくのは、もちろん教義を幼い時から刷り込むというのもあるが、このように人間関係を信者で固めて逃げる気が起こらないように地盤固めをするという意味もありそう。

エホバの証人に関しては、

カルト宗教信じてました。 「エホバの証人2世」の私が25年間の信仰を捨てた理由

カルト宗教信じてました。 「エホバの証人2世」の私が25年間の信仰を捨てた理由

  • 作者:たもさん
  • 出版社/メーカー: 彩図社
  • 発売日: 2018/05/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話 (KCデラックス)

よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話 (KCデラックス)

 

 この辺りを読んだことがあったので、信者の思考回路とかどんなことをしている組織というのはおおよそ頭に入ってます。

 

6章では、結婚を機に正社員となった筆者が、世の人(教団外の人間)と接するうちに、信者以外も普通の(むしろカルトにはまっている連中よりずっとまともな)人間だということに気づき、教団への疑問を深めていく様子。

こういうことがあるから、教団は外部との人間との接触をやめさせようとするし、バイトで食いつなぐように言うのだろうなぁ…。

 

筆者が感じた疑問、これっておかしいんじゃない?という考えが、世の人()の私からすると、いちいち当たり前というか、当然やろ…みたいなもので、地味に笑いを誘ってくる。

例えば、これまで禁止していた大学等高等教育の解禁に関しては、

「えー?? 今さら言うなよ」 

なんとも言えない感じだった。組織は時代のニーズに合わせてというが、真理に時代のニーズは関係ないのではなかったのか?時代によって、真理と霊性の基準は変わるのか? といぶかしんだ。いちいち、協会の教義変更に自分の人生が振り回されてはたまらないと思った。

 と納得いかないさまがありありと出ているし(笑)

うん、私もあれだけ小うるさく細々とした規則決めてるわりに、大事なところは雑な教義やなって思うよ、うん。

ハルマゲドンの予報()延期もなかなか笑える。こうやってあと何年引き延ばすんだろうなーw

 

宗教3要素ってのも面白いねー。

 1.絶対性(これが絶対正しい、幸せになれる!)

2.純粋性(自分たちの教義以外は信用できない、偽物だ)

3.選民性(異教徒は豚。教徒のみが救われる)

これって宗教学とかでは当たり前だったりするのかな?

私は初めて見るので、よく特徴をつかんでるなーと関心しました。

 カルトになるのは、4.布教性 が追加された場合、らしい。

なるほどー。

 

エスヨハネがいつも寄り添っていたからゲイ説、マジ???

リベラルってすげーな…。

 

8~10章は、物語がクライマックスに突入し、決着がつき、エピローグに入るようなドラマチックな構成になっていて、ラストスパートがはかどった。

これまで心の底でうずまいているだけだった疑念が、急に浮上してきて、ある時突然に洗脳が解ける感覚。昨日までは何も感じなかった、信者の表情の不気味さ。筆者が教団の矛盾を暴くための資料を貪欲に探していく、最後の決め手の一手を打つさま。一人の人間が産まれる過程を見ているようだなぁ…。

実際、筆者も(精神的な意味で)生まれ変わった、的なことを言っていたし。これはそういうことなんだろう。

9章では、家族や友人の洗脳を解くため、教義の矛盾を論理的に突く資料作りに没頭したり、教団内に噂が回らないように立ち回りながら信者の洗脳を解くために動いたエピソードが描かれる。

うーんまさにミッションインポッシブル。ここはめちゃめちゃ面白い。

ここだけ読んでも面白くないので、やっぱり信者してた前半の章は必要。なんというか、ギャルゲーの日常パート的な。

 

この筆者のすごいところは、教団を抜けたときは真摯に神も聖書も信じていたのだけど、最終的には、聖書という書のなりたち、歴史にまで手を伸ばし、聖典が絶対的なものではないことにまでたどり着いてしまうこと。

聖書には複数の違った写本バージョンが存在→絶対的真実とは…

冷静に聖書を読むと矛盾だらけ(例えば、ノアの洪水以前の川が普通に残っているとか、洪水後にネフィリムが普通出てくるとか)→真理(笑)

結局、ローマが強かったから広まっただけなんじゃ?とか、古い本だからなんか権威あるように思えるだけじゃね?といった身もふたもない結論に行きついてしまった。

キリスト教的価値観を相対化するまでになったのか…と、一人の人間に起こったパラダイムシフトを見守る体験ができて、私もとても面白かった。

 

10章で、筆者は自分の価値基準や常識を白紙から考え直した体験について述べている。

世間一般の人は自分の常識や価値観を疑ったことがないだろう。大抵の人は、他人によって植え付けられた価値観を自分の価値観だと思って生きている。ほとんどの重要な決断の根拠は、親、先生、上司、周りの人の習慣や伝統 によって決められている。自分で体験して結論を出して生きている人は非常に少ない。

 と言っているけど、そうなんだろうか?ちょっと世間を画一的に見すぎでは、という気もするが…。

でもある程度はそうしないと、社会って成り立たないしなー。

このへんは、一人ひとりが確固たる理性を持つのが理想的なリベラル的考えに毒されすぎな気もする。

ぼーっと生きてるのが普通に幸せだったりするし・・・。むむむ。