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【読書記録】認知症の人の心の中はどうなっているのか?

 

認知症の人の心の中はどうなっているのか? (光文社新書)

認知症の人の心の中はどうなっているのか? (光文社新書)

 

 タイトルもストレートで良いんですけど、表紙が良いですねー

どこかぼんやり無気力だけど、辛そうでもある、認知症の人の苦悩を表現したかのような。図書館で見てドキっとしたので借りてみました。

カバー折り返しで書いてあるのが本書の大きなテーマかな。

認知症になって記憶が失われても、心が失われるわけではない」とは、よく聞くフレーズです。では、その「心」とは、一体どのようなものなのでしょうか? 

 「心」を具体的に示すこと、その心の内を知り、その人の内なる世界を尊重することが認知症の本質である「生活の障がい」と「孤独」の軽減につながると筆者は信じている、とのこと。

本書1、2章では、認知症の人のコミュニケーションの特徴、認知症で失われがちになる能力がどのようなものか、そしてそれを測るための筆者研究グループ独自の認知症検査「日常会話式認知機能評価CANDy」についてを語る。

3~5章では、それを踏まえて認知症の人の見ている世界と苦しみを知り、どう関わっていくべきかについて展開する。

本全体としてしっかりストーリーがあるのがすごく好き。

最近要素を書き連ねる系の本にちょっとうんざりしていて読書欲が萎えていたんだけど

otakudust.hatenablog.com

↑これとか(*悪口ではないです。私は合わなかったということで)

構成がある本は読み進めていて楽しい。

 ところでここから1000字くらい書いたあとネットワークエラーで下書き更新ができず全消えして切れそうになりながら書き直しています。

 

認知症の特徴は色々具体的に挙げられていたのですが、まとめると、言語・非言語コミュニケーションの低下、なのかなと。

CANDyは日常会話を交わしながら言語コミュニケーションの低下を見る新しい検査として筆者研究グループが提案しているようです。

(よく聞く典型的な認知症検査って今日は何月何日?とか聞くやつだけど、これだとテストされる側もテストされてるなーって思ってプライドが傷つくみたい)

個人的にチェック項目を読んでいて思ったのが、認知症じゃない人でもこんな感じで話通じないひといっぱいいるじゃん・・・?ということ。

あくまで補助手段としてはいいのかな?検査する側はもともとこういう人なのか、認知機能の低下でそうなったのか判断できるんだろうか?

 

で、このコミュニケーション能力の低下はどこからきているかというと、注意・記憶・見当識・社会的認知の低下からだそうです。

一個ずつ例と共にメモっておきます。ぱっと聞いただけじゃ素人にはなんのことかピンとこないもんで。

  •  注意
    周囲の人に注意を向けて、その様子を見ること。認知症の人は注意を向けるのも苦手だし、同時に注意する(車の運転時とか)も、全体に注意して抽象化するのも苦手。情報処理能力の低下にもつながる話。
  • 記憶
    これはまんまですね。フィクションでよくある、「飯はまだかの?」からの「おばあちゃん晩御飯もう食べたでしょ」ってやつ。
  • 見当識
    これは初めて聞いた単語で最初意味が分からず…。時間・場所・人の認識のことだそうです。これ、できないといきなり知らない家に知らない人が居る状態になっちゃうんですよね。そりゃ不安だわ。
  • 社会的認知
    非常に広い領域を含む概念で、ここでは「相手の表情や言葉、身振り等から心の中を推察し、その場に合った適切な行動をとる能力」だそうです。これはコミュニケーションにダイレクトに響きそう。
 
これらの能力低下から、認知症の人が見ている世界というと・・・、
  • さっきも書いたように、いきなり知らない家に知らない人が居るって気持ちになっちゃう
  • 親しい人の顔が認識できない(けど知らない人が我が物顔で家に入ってきたという警戒心はあるから、必死の抵抗として「どちら様ですか?」とか言ってしまう)
  • 情報量が多すぎるところに来ると混乱しちゃう
    お正月の家族の様子を描いた絵を見ても、猫がいる、とか特定の情報にしか注目できなかったり、商品がたくさんある場所がスーパーだと認識できない、とか
  • 遂行(実行)機能の障害
    Plan Do Seeができない。なので作る料理を決めて、買い物して、料理を作ってとか一連の行動ができない。
  • 失語
    感覚性失語では、自分の言葉もめちゃくちゃ、他人の話す言葉も理解できない、という状態になる(自分は常々、日本語で思考している自覚があるのだけど、こういう状態になったら無くなってしまうんだろうか?)

・・・などなど。めちゃくちゃ色々起きる!これは…辛いに決まってるな…

本書でも繰り返し述べられているんですけど、これってアイデンティティの崩壊でもあるんですよねぇ…。

自分が認知症になって、自分で自分のことができなくなって他人の都合に合わせないといけなくなって、見せたくなかった汚い部分を見せてしまうようになって、自分で自分をコントロールして生きている実感が持てない…。これまでの人生の苦労とは全く別次元の苦しみであるのだろうな。

この苦しみに寄り添って介護するには、という話が5章にあるんだけど、ここは、なんとも複雑な気持ちになる章だった。

理想論としてはそうなんだろうけど、正直現実的ではないのかなぁという気持ちに。

いや、もちろん介護者主体の介護は虐待の基準が甘くなるとか、正論だと思うんですよ。でも、これから日本って高齢者の方が多くなるじゃないですか(今もそうかな)

それでこの筆者の言うような理想の介護は、手間も時間もかかりすぎて、無理でしょっていう。